備中高梁を歩いた。2009年最初の旅、その行き先は、このところ何年も、ず〜と気になっていた、備中高梁。30数年ぶりの備中高梁への一人旅だった。
東京駅9時30分発のぞみ17号は、岡山駅に12時56分に着く。ここで、岡山発13時05分発のやくも13号に乗り換えると、倉敷の次の停車駅が、備中高梁。13時39分、備中高梁に着いた。
ロケ地
松竹映画
男はつらいよ 第8作
「寅次郎恋歌」
昭和46年10月撮影
駅前に、こう書かれた説明版が立っていた。
そう、ここ、備中高梁は、我らが寅さん、「男はつらいよ」の舞台になった街なのだ。それも、第8作目だけでなく、第32作目もここで撮影された。つまり、2回も寅さん映画の舞台になっている。備中高梁は、寅さんにも愛された街なのである。
30数年前、一人旅の途中、備中高梁を訪れた。そのとき、いっぺんにこの街が気に入ってしまった。印象がとっても良かっただけでなく、この街には、いい思い出もある。
高梁亭という食堂で、その店のおやじさんにご馳走になったのだ。しかも、店で一番高いものを・・・。
20代の半ば、あの頃は、貧乏旅行ばかりしていた。
備中高梁に行ったときも、まさに、寅さんが映画の中でよく泊まっていたような、そんな庶民的な日本旅館、中田旅館に泊まった。食堂もやっていたこの中田旅館を基地に、高梁の街を歩いた。あのときは、夏の暑い日だった。
初めてこの街を歩いたとき、偶然に高梁亭という名前の店に出合った。
高梁に高梁亭、まずは、その店の名前に惹かれた。しかも、庶民的な感じの店だったこともあって、店に入った。
店の外観、そして、店内の様子は、今でも、はっきりと、覚えている。
店内は広くなかった。左側にカウンターがあって、その奥が厨房で、テーブルが右側に並んでいた。
壁にかかったメニューを見て、その店で一番安いものを注文した。
それが、ボリュームがあって、うまかったのだ。
店のおやじさんとも、ごく自然に、いろいろな話をした。
翌日も、高梁亭に行った。このときも、一番安いものを注文した。なんといっても、貧乏旅行の一人旅だったので・・・。
そして、3日目。その日はもう高梁を去る日。夕方の列車に乗って、岡山に出て、岡山からは、夜行列車で帰ることになっていた。
最後の日も、出発ぎりぎりまで、高梁の街歩きを楽しむつもりで、紺屋川に沿って歩いていると、偶然に、配達帰りの自転車に乗った高梁亭のおやじさんと出会い、声をかけられた。
挨拶をして、今夜帰ることを言うと、
「時間あるなら、店に寄っていってよ」
ってなことを言われて、では、と、流れに従って、時間もあるし、最後にもう一度、高梁亭に行くことに・・・。
店に入ると、ここでも、おばちゃんの優しい笑顔。
メニューを見て、このときは、ちょっと奮発して、
「最後だし、一番高いものを注文しようかな、うまそうだし・・・」
と、いろいろ考えて、一番高いものを注文した。
すると、おやじさん、
「もう作ってるよ」
と一言。
すげ〜、ぼくが何を注文するのか分かったのかな〜と、そのときは思った。
食べ終わって、支払おうとすると、金は受け取ってくれなかった。
ご馳走になってしまったのだ。
偶然にあった、貧乏旅行をしていた、若者(当時はね)に、店で一番高いものを、ご馳走してくれたのだ。
高梁では、こんなこともあったのである。
駅舎を背にして、駅前通りに面した家並みを見ていると、角の店の看板に、
“男はつらいよ”寅さんが二度も来たまち
と書いてある。
このぼくも、この高梁にやってきたのは、今回が2度目。
右手の方を見ると、遠方の山の上に、大きく育った木に隠れて、ちょっと見えにくくなっているが、備中高梁のシンボル、備中松山城がある。
すぐそばに、ちょっと城をイメージしたような感じの小屋、観光案内所があった。
まずは、そこによって、パンフレット類を頂いてから・・・、と思って、扉を開けて、中に入っていくと、元気そうなおばちゃんが、3人、カウンターの中に。
パンフレット類を入手したあと、そのおあばちゃんたちと話をすることに・・・。
「30数年ぶりにこの街にやってきたんですけど・・・、そのときは、中田旅館に泊まって・・・」
ってなことを言うと、
「中田旅館は、もう15年くらい前に止めてるね」
「高梁亭っていう食堂があって、そこのおやじさんにご馳走になったことがあるんですよ」
「ああ、高梁亭なら、去年まで、やってたよ。去年、店やめたな。若い人に、人気があったよ。若い人だけじゃなくて、高梁の人、だれにも人気があったよな。店で食べるっていうより、配達が人気だったな。あのおやじさん、最後まで、自転車に乗って配達してたよな」
なんと、去年まで店をやっていたなんて・・・。もう一年早く来ていれば、あの店で、高梁亭のおやじさんにお会いすることができたんだ。
店のあった場所を地図で確認して、観光案内所を後にした。
宿にチェックインして、荷物を置いて、すぐに、街に出た。
本町町家通りが花水木通りと交差する辺り、高梁亭のあった場所にも行った。
高梁亭だった建物は、そこに、あった。看板はペンキで上から塗られて、高梁亭という店の名前はなかった。が、そばによって、斜め下から、よく見てみると、茶系の 色で塗られたペンキの下にはっきりと、高梁亭の文字を読み取ることができた。
30数年前、ここで、確かに、ここで・・・。
おじいさんがやってきたので、
「昔、高梁亭って、食堂があったんですけど、あの家ですよね・・・」
と、言うと、
「そう、あの家が高梁亭だった。あんた、どなたさんですか?」
「実は、30数年前に、この店のおやじさんにお世話になって・・・」
と、高梁亭に関する話をいろいろとした。
すると、このおじいさん、すぐ斜め前に住んでいるHさんという人で、
「店は、この家を借りて、やってたのよ。今は、やめて、本宅の方にいるので・・・」
ということで、連絡してくれる、ということになって、名刺を一枚、お渡しして、別れ、街歩きを再開した。
1月5日、この日は、夜も紺屋川に沿って、紺屋川美観地区を歩いた。
本町町家通りも歩いた。
同じ道でも、昼と、夜では町の顔が変わる。雰囲気がちがってくる。昼時と夕刻でもちがってくる。それが、楽しい。
まして、ここは、備中高梁。
与謝野鉄幹、与謝野晶子も、備中高梁の朝霧風景について、歌によんでいる。
明日の朝が、楽しみだ。
山の上の城、備中松山城に、明日は、歩いてのぼるつもりだ。
*
今回の写真の舞台は、備中高梁。翌朝撮った、朝霧が漂う、備中高梁の街。正面に、寅さんの映画にも出てきた薬師院とその階段が見える。

朝霧漂う、備中高梁の街。正面に、寅さんの映画にも出てきた薬師院が見える
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