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第386回

飯島町、再び

2008/01/30

 こんにちは、飯島町役場総務課の○○と申します。
 短大のホームページを見させていただきました。
 面白く載せていただいて本当にありがとうございました。
 写真につきましてもすばらしいと思っております。
 町長、副町長等を含めて役場職員全員に短大のホームページのことにつきまして連絡をしたところです。

 1月27日、「ホームページ拝見しました!」という件名のメールが届いた。メールの送信者は、飯島町役場総務課まちづくり推進室のKさん。

 短大のこのHPを読んでくださって、しかも、喜んでいただき、それだけでもうれしいことなのに、さらに、「町長、副町長等を含めて役場職員全員」にこのHPのことを連絡してくださったなんて・・・、こんなにうれしいことはありません。うれしいね〜。ありがたいね〜。本当に、そう思う。
 どうです。皆さん。飯島町の人って、なんとなく、いいでしょう。
 前回のこのHPに、
「大自然に包まれているこの町に暮らす人びとは、どこか余裕があって、大らかで、しかも、元気で、前向きなのである」
 と書いたが、これ、本当のこと。さらに、その上、フットワークもいいのである。
 日本国内各地、それに、世界中をふらふら歩き回ってきた、旅のフィールドワーカー秋山が、飯島町に行き、現地で、直に感じたことなのだから、間違いありません。

「アッ、あれ、前から私も考えていたことです」
「いいことだとは思いますが、でも・・」
 こう言うだけで、結局、何もしない、動かない、そんな人がけっこういる。
 いいな〜と思ったことは、どうしたらそれが実現できるのか、そのためには今何をしたら良いのか、知恵を出し合って、すぐに行動する。そういったことが、大切なのである。

 なんとなくモヤモヤッとしていて、気分がすっきりしない人や、心にぽっかり穴が開いてしまったというような人、いやそんなに深刻に考えなくても、ちょっと気分転換したい、とか、軽い気持ちで、どこか旅にでも出かけてみたいな〜、と思った人。
 飯島町に出かけていってみませんか。
 雄大な自然に包まれたこの飯島町には、なにか特別な癒しのパワー、元気の素がある・・・かもね。

                            *

 今回の写真は、飯島町で撮った、早朝の風景。伊那谷をまっすぐ走る線路の上に、真っ赤に焼けた朝焼けの雲。左側が、東。


飯島町、線路の上に真っ赤な朝焼けの雲

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第385回

長野県、飯島町。

2008/01/23

 東に明石山脈、西に木曽山脈、日本アルプスと呼ばれるこのふたつの大山脈に挟まれた長野県の伊那谷に、飯島町はある。
 人口は1万人ちょっと。大自然に包まれているこの町に暮らす人びとは、どこか余裕があって、大らかで、しかも、元気で、前向きなのである。
 南アルプス(明石山脈)と中央アルプス(木曽山脈)、このふたつの日本アルプスの眺望は伊那谷随一といわれるのも、実際にこの町を訪れて、納得。
 「ふたつのアルプスが見える町」というこの町のキャッチフレーズも、偽りなしである。
 田があり、畑があり、森があり、山がある。そこに、澄んだ水が流れている。この豊かな大自然と溶け合い共存する飯島町に展開する農村風景は、癒しの空間でもある。
 県下有数の花の町・飯島町の中央部を南北に走る「中央アルプス花の道」に面した道の駅「花の里いいじま」も、花がいっぱいだ。
 ここでは、地元産の野菜や果物が直売され、店に並ぶ花束も、200円程度から、1000円以下の洋ランの切花もあって、都会に比べると、かなり安く購入することができる。
 「地球に喜んでもらえるよう、風をちょっとお借りして施設の一部へ電力供給しています」と、説明板に書いてある小型の風力発電機《そよ風くん》が、駐車場の脇で、ゆっくりと稼動していた。

「子どもたちが家々を回って集めてきた正月飾りや達磨を積み上げて、燃やし、枝の先に刺した餅をその火で焼いて、食べる」
 地区ごとに行われる、そんな正月の年中行事が、どんど焼き。
 花火がひとつ、ド〜ンと上がって、人が集まりだす。
 その年の代表者の挨拶の後、ドドドド〜ン、連発花火が打ち上げられ、達磨、しめ縄、門松などの正月飾りを積み上げた山に、火がともる。
「こんにちは。おめでとうございます」
「今年もよろしく、お願いいたします」
 そんな会話も行きかう。
 先っぽに切り餅や団子を突き刺した木の枝を手にした子どもたちやおばあちゃんが、火の勢いが収まってくるのを待っている。
 テーブルの上には、「粗酒」、「厄払い」、「寸志」、「御祝」などと書かれた一升瓶が、何本も並ぶ。
「火が弱くなってから、ここで、男たちは、夕方まで、酒を飲むんですよ」

 朝、太陽は南アルプスの後ろに隠れているが、その姿を現す前に、町の西に位置する中央アルプスの上に漂う雲、そこに一足早く日が当たり、その後、山の斜面を照らし、それがゆっくりと下ってくる。
 すぐそばにあって一番分かりやすい山が烏帽子岳。そこから、右へ順に、越百山、観涯嶺、南駒ケ岳、擂鉢窪を経て、田切岳、空木岳と続く。

 行き先表示に天竜峡と書かれた3両編成の電車が、北から南へ走っていった。
 5分ほどすると、今度は、南から北へ、電車が通過していく。
 ここは、単線。先ほどの電車と、飯島駅ですれちがったにちがいない。

 水路を流れる水の音。車が凍った路上の氷を踏み砕く音。ときに、通り過ぎていく車の音。それも、そんなに大きくはない。
 音も、この大自然の中に吸収されてしまうかのようで、騒音とはならない。

 ホームショップ店の外に、雪かき用のスコップが何種類もズラッと並んでいる。
 値段を見ると、一番安いのが、998円。「強さ3倍」が、1480円。「強さ5倍」が、3480円と、いろいろある。
 実は、ここで、一本買ったのだ。
 「スコップより、こっちの押すやつの方が、楽で、いいですよ。私も、これ使ってます」という、役場のKさんの有難い言葉に従って、2000円弱の押すやつを。
 それを持って、特急あずさに乗り、新宿駅の雑踏のなかを歩き、山の手線にも乗って・・・。

 この町のマンホールに描かれているのは、町の花・石楠花と飯島陣屋。
 飯島陣屋に行くと、建物の入り口に、ドーンと、大きな繭玉飾りがあった。右の方を見ると、長さのちがう3本の棒が、縁側に立てかけてあった。
 この棒は、獅子追い棒というのだと、このとき知った。
「獅子追い、獅子追い、と言って、子どもたちがこの棒で地面を叩くんです」
 と、学芸員のMさん。
 飯島陣屋は、17世紀後半から幕末まで、信州伊那谷の天領を統治する拠点になったところで、手付、手代、書役と呼ばれる役人がここに常駐して、いろいろな政務を執り行った。
 展示物を見ながら、
「これなんですか?」
 と尋ねると、
「開けてみると、分かります」
 ここでは展示物に触ることができる。写真も自由に撮ることができる。
 見て、触って、初めて分かることがある。ここに展示してあるものは、すべて、実際に生活で使ったもの。それがどんなものだったのか、それを知って、理解するには、やっぱ、実際に触ってみないことには・・・ね。いいことだ。

「テレビで見たことあるな〜」
 と、まるで、時代劇のテレビドラマのセットを回っているような、そんな感じを若干持ちながら、見学。容疑者が座らされ、尋問される場面なんかで、テレビの時代劇に出てくる白州が、実際には、意外に狭い、ということに驚いた。
 かつらをかぶって、代官の格好をしたり、楽しんだりしながら、この土地の歴史について、学ぶこともできる。
 いろりの周りに腰を下ろして、火を起こしたり、暖をとったり・・・、楽しい体験もできる。
 『お役人―代官・手付・手代たちー』『陣屋があった江戸時代』などの飯島陣屋ブックレットも発行している。これは、分かりやすく書いてあって、一冊300円。お買い得である。

                            *

 前回は1月31日〜2月2日に、京成勝田台駅前の八千代市・勝田台ステーションギャラリーで開かれる東京成徳大学主催の写真展「世界の街角から」についてお知らせしましたが、ここで、お知らせを、もうひとつ

 千葉県の鎌ヶ谷市で開催される、
 《まちづくりフォーラム〜みんなで創ろう2020年の鎌ヶ谷市〜》
 で、このぼくも、市長ら4人のパネリストの一人として、登壇します。
 日時:2月7日(土)14:00〜16:30
 場所:鎌ヶ谷市役所隣、鎌ヶ谷市総合福祉保健センター6階 大会議室
 こんなこともやってます。ということで、お知らせまで。

                            *

 今回の写真は、飯島町で見た、どんど焼きの風景。


飯島町 どんど焼き

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第384回

備中松山城に上る

2008/01/16

 備中高梁での宿は、中田旅館が廃業してしまっていたこともあって、インターネット検索で見つけた、高梁国際ホテル。
 翌朝、9時20分、ホテルを出発。
 備中松山城に上る前に、まずは、武家屋敷通り、石火矢町ふるさと村を歩いて、朝の街の風景を感じてから、その後、山道を歩いて、臥牛山(今年は牛年。新年早々に上る山としては、なんとも縁起が良い)にのぼり、備中松山城へ向かうことに・・・。

 備中松山城の登山口を出たのは、10時02分。
 川を渡り、山道を一人、歩いて、標高290mのふいご峠に着いたのが、10時32分。ここには、駐車場と休憩場所、飲み物の自販機が設置されている。
 ほとんどの人が、ここまで、自家用車やタクシーに乗ってきて、ここから山道を歩いて、備中松山城へ向かう。城への道は、駐車場からいったん下って、山道に入って分かれ道のところから、右の道を行くことになる。
 しかし、初めてここにやってきた人は、この標識を見ないと、ちょっと分かりにくい。しかも、ここにある案内板は、日本語でしか書いてない。
 日本語の理解できない人には、ちょっと不親切だな〜。と、そんなことを思っていると、タクシーが止まって、年配の西洋人のカップルが降りてきた。
 分かれ道のところで立ち止まって、しばらく、観察していると、やはり、どの道を行ったらよいか、考えている様子。で、こちらから、声をかける。すると、
「キャッスル?」
「イエス、ジス ウエイ」
「サンキュウ」
 オランダからやってきたのだ。
 これで、一安心。再び、一人、山道を歩き始めた。

 標高420mの備中松山城に着いたのは、11時05分。
 二の丸からの展望を楽しみ(大きく育った木々が視界をかなり邪魔していたが・・・)、周辺をぐるっと見てから、天守閣に上った、入場料は300円。
 城から出たところで、ビデオで、歴史の勉強。
 12時20分、山を歩いて、下り始める。
 12時40分、中太鼓の丸跡から、高梁市内展望。ここからは、高梁川と町並みがよく見える。ここからの展望は、お勧めだ。
 山道を歩いて下り、13時50分、中州橋に着いた。
 その後は、再び高梁市内を歩き回ることに・・・。
 コースは、武家屋敷通り〜頼久寺〜薬師院。高梁郵便局、高梁駅に寄り、観光案内所へ。ここで、観光ボランティアのおばちゃんたちから、いろいろな話を聞いた。
 帰りは、備中高梁発17時06分のやくも22号に乗って、岡山着17時38分。岡山発17時49分ののぞみ42号に乗って、東京着が21時13分。
 30数年ぶりの、備中高梁への、一人旅。一泊二日と、短かったが、いい旅だった。

 ここで、お知らせをひとつ。
 京成電鉄の勝田台駅下車、改札口を出たところに、勝田台ステーションギャラリーがある。そこを会場に、1月31日(土)から2月2日(月)までの3日間、世界の旅の途中で撮った写真を展示した写真展が開かれる。
 東京成徳大学人文学部の主催で行われるこの写真展に、実は、このぼくもちょっと協力している。
 キャノンサロンで開かれた写真展に出展した作品や、朝日新聞社のギャラリーで開かれた写真展に出展した作品なども展示する予定。
 このHPをお読みになって、興味を持たれた方、是非、会場にお越しください。
 初日1月31日の午前中は、ぼくも会場にいます。
 このHPをお読みになって、何かお話のある方も、ご遠慮なく、どうぞ。

                            *

 今回の写真の舞台は、備中松山城の天守閣。


備中松山城

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第383回

2009年最初の旅は、備中高梁へ

2008/01/09

 備中高梁を歩いた。2009年最初の旅、その行き先は、このところ何年も、ず〜と気になっていた、備中高梁。30数年ぶりの備中高梁への一人旅だった。

 東京駅9時30分発のぞみ17号は、岡山駅に12時56分に着く。ここで、岡山発13時05分発のやくも13号に乗り換えると、倉敷の次の停車駅が、備中高梁。13時39分、備中高梁に着いた。

     ロケ地
 松竹映画
  男はつらいよ 第8作
    「寅次郎恋歌」
      昭和46年10月撮影

 駅前に、こう書かれた説明版が立っていた。
 そう、ここ、備中高梁は、我らが寅さん、「男はつらいよ」の舞台になった街なのだ。それも、第8作目だけでなく、第32作目もここで撮影された。つまり、2回も寅さん映画の舞台になっている。備中高梁は、寅さんにも愛された街なのである。

 30数年前、一人旅の途中、備中高梁を訪れた。そのとき、いっぺんにこの街が気に入ってしまった。印象がとっても良かっただけでなく、この街には、いい思い出もある。
 高梁亭という食堂で、その店のおやじさんにご馳走になったのだ。しかも、店で一番高いものを・・・。

 20代の半ば、あの頃は、貧乏旅行ばかりしていた。
 備中高梁に行ったときも、まさに、寅さんが映画の中でよく泊まっていたような、そんな庶民的な日本旅館、中田旅館に泊まった。食堂もやっていたこの中田旅館を基地に、高梁の街を歩いた。あのときは、夏の暑い日だった。
 初めてこの街を歩いたとき、偶然に高梁亭という名前の店に出合った。
 高梁に高梁亭、まずは、その店の名前に惹かれた。しかも、庶民的な感じの店だったこともあって、店に入った。
 店の外観、そして、店内の様子は、今でも、はっきりと、覚えている。
 店内は広くなかった。左側にカウンターがあって、その奥が厨房で、テーブルが右側に並んでいた。
 壁にかかったメニューを見て、その店で一番安いものを注文した。
 それが、ボリュームがあって、うまかったのだ。
 店のおやじさんとも、ごく自然に、いろいろな話をした。

 翌日も、高梁亭に行った。このときも、一番安いものを注文した。なんといっても、貧乏旅行の一人旅だったので・・・。

 そして、3日目。その日はもう高梁を去る日。夕方の列車に乗って、岡山に出て、岡山からは、夜行列車で帰ることになっていた。
 最後の日も、出発ぎりぎりまで、高梁の街歩きを楽しむつもりで、紺屋川に沿って歩いていると、偶然に、配達帰りの自転車に乗った高梁亭のおやじさんと出会い、声をかけられた。
 挨拶をして、今夜帰ることを言うと、
「時間あるなら、店に寄っていってよ」
 ってなことを言われて、では、と、流れに従って、時間もあるし、最後にもう一度、高梁亭に行くことに・・・。
 店に入ると、ここでも、おばちゃんの優しい笑顔。

 メニューを見て、このときは、ちょっと奮発して、
「最後だし、一番高いものを注文しようかな、うまそうだし・・・」
 と、いろいろ考えて、一番高いものを注文した。
 すると、おやじさん、
「もう作ってるよ」
 と一言。
 すげ〜、ぼくが何を注文するのか分かったのかな〜と、そのときは思った。

 食べ終わって、支払おうとすると、金は受け取ってくれなかった。
 ご馳走になってしまったのだ。
 偶然にあった、貧乏旅行をしていた、若者(当時はね)に、店で一番高いものを、ご馳走してくれたのだ。
 高梁では、こんなこともあったのである。

 駅舎を背にして、駅前通りに面した家並みを見ていると、角の店の看板に、

“男はつらいよ”寅さんが二度も来たまち

 と書いてある。
 このぼくも、この高梁にやってきたのは、今回が2度目。

 右手の方を見ると、遠方の山の上に、大きく育った木に隠れて、ちょっと見えにくくなっているが、備中高梁のシンボル、備中松山城がある。

 すぐそばに、ちょっと城をイメージしたような感じの小屋、観光案内所があった。
 まずは、そこによって、パンフレット類を頂いてから・・・、と思って、扉を開けて、中に入っていくと、元気そうなおばちゃんが、3人、カウンターの中に。
 パンフレット類を入手したあと、そのおあばちゃんたちと話をすることに・・・。
「30数年ぶりにこの街にやってきたんですけど・・・、そのときは、中田旅館に泊まって・・・」
 ってなことを言うと、
「中田旅館は、もう15年くらい前に止めてるね」

「高梁亭っていう食堂があって、そこのおやじさんにご馳走になったことがあるんですよ」
「ああ、高梁亭なら、去年まで、やってたよ。去年、店やめたな。若い人に、人気があったよ。若い人だけじゃなくて、高梁の人、だれにも人気があったよな。店で食べるっていうより、配達が人気だったな。あのおやじさん、最後まで、自転車に乗って配達してたよな」

 なんと、去年まで店をやっていたなんて・・・。もう一年早く来ていれば、あの店で、高梁亭のおやじさんにお会いすることができたんだ。
 店のあった場所を地図で確認して、観光案内所を後にした。

 宿にチェックインして、荷物を置いて、すぐに、街に出た。
 本町町家通りが花水木通りと交差する辺り、高梁亭のあった場所にも行った。
 高梁亭だった建物は、そこに、あった。看板はペンキで上から塗られて、高梁亭という店の名前はなかった。が、そばによって、斜め下から、よく見てみると、茶系の 色で塗られたペンキの下にはっきりと、高梁亭の文字を読み取ることができた。
 30数年前、ここで、確かに、ここで・・・。

 おじいさんがやってきたので、
「昔、高梁亭って、食堂があったんですけど、あの家ですよね・・・」
 と、言うと、
「そう、あの家が高梁亭だった。あんた、どなたさんですか?」
「実は、30数年前に、この店のおやじさんにお世話になって・・・」
 と、高梁亭に関する話をいろいろとした。
 すると、このおじいさん、すぐ斜め前に住んでいるHさんという人で、
「店は、この家を借りて、やってたのよ。今は、やめて、本宅の方にいるので・・・」
 ということで、連絡してくれる、ということになって、名刺を一枚、お渡しして、別れ、街歩きを再開した。

 1月5日、この日は、夜も紺屋川に沿って、紺屋川美観地区を歩いた。
 本町町家通りも歩いた。
 同じ道でも、昼と、夜では町の顔が変わる。雰囲気がちがってくる。昼時と夕刻でもちがってくる。それが、楽しい。
 まして、ここは、備中高梁。
 与謝野鉄幹、与謝野晶子も、備中高梁の朝霧風景について、歌によんでいる。
 明日の朝が、楽しみだ。
 山の上の城、備中松山城に、明日は、歩いてのぼるつもりだ。

                            *

 今回の写真の舞台は、備中高梁。翌朝撮った、朝霧が漂う、備中高梁の街。正面に、寅さんの映画にも出てきた薬師院とその階段が見える。


朝霧漂う、備中高梁の街。正面に、寅さんの映画にも出てきた薬師院が見える

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