全学共通教育の教育目的の一つに、「大学で学ぶ」ということの意味と意義を考えてもらいながら「学び方」を修得してもらいたいという願いがあります。
そのため、初年次教育の一環として、「正しく考えること」または「考え方」について新入生の皆さんと一緒に学ぶ授業があります。使用するテキストの中で正しく考えるための留意点として「客観的に考える」・「論理的に考える」・「批判的に考える」ということについて簡単に問題提起がされています。また別の所で「全体的・統一的に考える」ことの大切さにもふれておきました(http://www.tsu.ac.jp/tagblocks/jinbun/news/commonNews/0000003163.html)。
今日は、ここで、「本質的に考える」ということの大切さについて私の考えを述べてみたいと思います。
「本質的」ということばは、ここでは「現象的」ということばと対(つい)に用いられることばで、「本質的に考える」とはできごと・ものごとを表面的にではなくその深層・根源から考えるということです。
例えば、太陽は、単純にみたままに現れる姿においては-表面的・現象的には-地球の周りを回っています。しかし、事の深層においては-真実の姿としては-地球が太陽の周りを回っていることは皆さんがよく知っていることです。地球と太陽との運動を見えるがままの姿で現象的に理解し説明するのではなく、その現象の深層まで下降してものごと・できごとの現れの姿の本質あるいは内奥の真実の姿を解明し、その直接目には見えない本質がなぜ・どのようにして現象的な姿でわれわれに見えるのかを理解し説明すること、それが「本質的に考える」いうことの大切さなのです。
水の入ったコップの中の細長い棒は曲がってみえます(現象)。しかし真実としては(本質)この棒はまっすぐで、光による屈折の働きで曲がって見えるのです。ものごと・できごとの現象(表層)と本質(深層=真相)とは、必ずしも一致しません。否!しばしば転倒した姿で現れたりもします。だからこそ、本質を探究する科学が必要なのです。
もう一つ例をあげてみましょう。人は誰も自分の心は自由にコントロールでき、自分自身で考え、選び、主体的に決断し行動していると考えがちです。しかしながら精神分析学の知見によれば、我々の心の働きには誰も自覚していない無意識の働きがその深層構造にあって、われわれの意識的な心の働きはこの深層の無意識によって影響されているといわれます。
さらに、別の例をとっていえば、われわれは、自由かつ自主的に日本語をしゃべっています。しかし深層(真相=本質)的には文法法則に従ってしゃべっているのです。自然・社会・歴史のあらゆるできごと・ものごとは、現象的に現れる姿と本質的なあり方とは無条件に一致しているのではないのです。高校までと違って大学生としては、このことをよく理解し自覚しながら考えるようにしてほしい、ということです。これが「本質的に考える」ということの意味と意義なのです。
(日山紀彦)