●このホームページのわたしの担当欄の中で、これまで共通教育における哲学の講義の紹介も兼ねて「正しく考える」ということの大切さとポイントをお話ししてきました。今回は、その第四回目として前回の「概念的に考える」という話の続きで、概念を用いて考え議論する時の留意点の一つをお話ししておきたいと思います。
●「概念的に考える」というのは「ことば」を使ってものごと・できごとを一般的・抽象的・論理的に考えるということでした。「私が好きなのは〈くだもの〉で、特に〈リンゴ〉が一番だ」という時の〈くだもの〉・〈リンゴ〉といったことばの表している内容や本質が概念といわれるものです。〈くだもの〉という概念は、みかんや梨やぶどう等々の共通性や本質的特性を一般化して抽象的に総括して表しています。また〈リンゴ〉という概念は、〈くだもの〉という概念より範囲はせまいものの、富士・つがる・国光といった各種のリンゴを総括的にあらわすもの、さらにはこのリンゴA・あのリンゴB・そのリンゴC等々の個々のリンゴを越えて〈リンゴ〉一般を表現するものです。
●人間だけが概念を用いて考え行動できる生きもので、またそこに人間の生き方の優秀性・優位性の秘密の一つがあります。科学的思考や技術的工夫は概念的思考の産物です。〈神〉・〈幸福〉・〈善〉・〈美〉etcを考えられるのは人間だけです。ことばの数だけ概念があるといってもよいでしょう。
●ところで、概念的に考えるに際して、特に注意しなければならないのは、「概念規定の一義性」という基本ルールです。これは、人が概念を使う時、その概念のあらわす内容・意味・定義は常に同一でなければならず、その概念規定は変わってはならない、あるいは変えてはならないという規則です。人によって、あるいは状況によって、議論の前後において、同じ概念は常に一義的でなければならず、無意識にしろ、不注意にしろ、ましてや意図的にその意味内容を変えてはならないということです。
●例えば、いまA君とB君がX君について議論しているとします。A君は「Xは男である」といい、B君は「Xは男ではない」といい、この議論はいつまで経っても決着がつきません。しかしそばでよく聞いていると、A君は生物学的な意味で「Xは女性でなく男性である」といっているのに対し、B君は性格学的な意味で「Xは決断力に欠けて男らしくない」といっていることがわかりました。これでは実りある議論も納得いく結論も出てこようがありません。
●「概念規定の一義性」というのは、このような事例を避け、実りある議論を行い、正確な判断や推論を導き出すために守らなければならない「正しく考えるための基本鉄則」の一つなのです。くりかえすようですが、人によってあるいは同じ人物でも状況や時間の前後で、同一概念にもかかわらず定義や内容規定が多義的であったり変わってはいけないということです。先の例では、A君とB君の概念規定にズレがあることはすぐわかりますが、複雑な問題や専門的な議論あるいは新しい問題が扱われる時は、概念定義にブレやズレがあっても、往々にして気づかれないうちに議論や思考が展開されて、混乱したり実りなき結末に至ったりします。
●それだけではありません。21世紀は情報社会です。メディアがこの概念規定の意図的なズレや多義性や定義のあいまい性を利用して、我々を巧みに説得・操作・利用することもむつかしいことではありません。いつの間にかごまかされたり、あやつられたり、だまされたり、手玉にとられたりされてはたまりません。皆さんもくれぐれも御注意下さい。
●因みに、ある概念の規定・定義を意図的に修正・変化・転換させていく学問的な方法もあります。これは、最初に一般的に受け入れられている常識的な概念規定を提示しておき、議論の展開の中でその矛盾や不完全性を明るみに出し、次々と規定を付け加えたり修正したり転換したりすることで概念規定を全く新しい視点からつくりかえていくやり方です。私などはこのやり方を取っていますが、これについてはまた別の機会にお話しすることにしましょう。
(日山紀彦)