遥か彼方に薄らぎつつある記憶をたどれば、大学時代の夏休みは長かった。補習やプールがあるわけでも、宿題があるわけでもなく、何にも縛られないただ自由な時間が広がっていた。
昔読んだ漫画に、宇宙空間で鉄道が停車し、主人公の少年をはじめ何人かの乗客が鉄道内に数日取り残されるという物語があった。鉄道の中には何の娯楽設備もなく、当然鉄道から降りるわけにもいかない。車掌に不満をぶつけていた乗客も次第に諦め、少年はその極めて限られた条件の中で時を楽しく過ごす術を工夫し始める。
鉄道が再び動き始めてわかったことは、鉄道の停車は自由な時間を楽しむ力を持っているかどうかを確かめるために仕組まれたものだったということ。そして、少年はその試験に見事に合格したのである。
限られた条件の中で、自由な時間をどう過ごすか。これこそ究極の「生きる力」ではないだろうか。欧米では学校でも企業でも夏休みが数カ月に及ぶところがあるそうだが、それほど長い自由な時間を与えられたら、この国の人々はどう過ごすのだろう。与えられた課題がない状態に耐えられない人も多いに違いない。
オーストリア生まれの哲学者、イヴァン・イリイチ(1926-2002)は、教育という営みが本来持っている力を取り戻すために、制度化された教育、すなわち学校制度を廃する必要があると論じ、大論争を巻き起こした。彼の論によれば、教育が制度化され、学校に通い机の前に座って教師に与えられる知識を頭に詰め込むことが教育であると人々がとらえるようになると、教育はその本来の価値を失い、弊害がもたらされる。そのひとつが心理的不能化である。学校で、上を向き口を開けていれば食べ物を入れてもらえる状態に慣れてしまった人々は、学校から解放されても、自ら食べ物を探しに手を伸ばし、世界に飛び込むことができない。人々に平等に充分な栄養を与えようとして制度化された教育が、今や人々を飢え死にさせようとしている。
昔ほど長くはなくなってしまった大学の夏休みだが、元来人間が持っている「生きる力」を甦らせる時間を過ごしてほしい。自分の力で何かを獲得する経験ができたら、後期、学業にかける姿勢も自ずから変わってくるだろう。生きている限り、人は経験によって学ぶ。無駄な経験などない。
充実した夏休みを。また、後期にお会いしましょう。
(神谷純子)