●もう十年以上も前になりますが、義理の祖母が亡くなり、娘を連れて告別式に出席しました。
当時3,4歳であった私の娘は、身近で人が亡くなるという経験は初めてでした。人が死ぬということをまだよく理解できない様子で、素朴に私に問いかけてきました。「人は死んだらどうなるの?」
●私は、「人は死んだら腐って土になるだけだ」と、ごく自然に思っていました。だから、それをそのまま娘に話すしかありませんでした。
しかし、口にでかかった瞬間、急にためらいが生じました。3,4歳の子どもにこの答え方は、いかにも命に対する優しさが欠けているように思えたからです。
●その時、ちょうど近くに私の父がいました。そこで思わず、「おじいちゃんに聞いてごらん」と答えてしまいました。
娘は早速、祖父のところへ行って同じ質問をしました。祖父は、人は死んだらまたいつか何かに生まれ変わると、輪廻転生のようなことをわかりやすく話していました。
娘がそれをどう思ったのかはわかりません。しかし、とにかく真剣な顔つきで祖父の話を聞いていました。それを見ながら私は、何か娘に大きな借金でもしてしまったような気持ちになりました。理由はともかく、私が逃げたという事実は明らかであったからです。
●それから数年して、新聞記事の中におもしろい本を発見しました。『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』(レオ・バスカーリア作、みらいなな訳、童話屋、1998年)です。早速買い求め、娘に与えました。(以下は同書からの引用)。
「ぼく、死ぬのがこわいよ。」
「まだ経験したことがないことは、こわいと思うものだ。でも考えてごらん。・・・変化しないものは ひとつもないんだよ。・・・変化するって自然なことなんだ。・・・君は、春が夏になるとき こわかったかい?・・・死ぬというのも 変わるということの一つなのだよ。」
変化するって自然なことだと聞いて フレディはすこし安心しました。
「いつかは死ぬさ。でも“いのち”は永遠に生きているのだよ。」
“いのち”は土や根や木の中の目には見えないところで新しい葉っぱを生み出そうと 準備をしています。大自然の設計図は 寸分の狂いもなく“いのち”を変化させつづけているのです。
●変化することは自然なこと、そして死ぬことも変化の一つ。この変化の中で、いのちは形を変えつつ永遠につながっていきます。エコロジカルな輪廻転生とでもいって良い見方でしょう。
「人は死んだら腐って土になるだけだ」という事実も、このように言うことができたならば、きっとためらいなく口に出すことができたでしょう。少しだけ、借金を返すことができた気分となりました。
(長谷部孝司)