「河原の石ひとつにも宇宙の全過程が刻印されている」とは、1993年に芥川賞を受賞した奥泉光氏の『石の来歴』という本の最初の文章です。
この文は、気象学者の木村龍治博士が若い人に語りかけた『自然をつかむ7話』(岩波ジュニア新書、2003年)という本の書きだしである。2010年6月13日、小惑星探査機「はやぶさ」が星のかけらを取ってくる試みの旅から地球に帰ってきた。七年の歳月をかけて小惑星イトカワに往復し、オーストラリアの沙漠に着地した試料回収用カプセルに、なにが入っているのかはまだわからない。もし何かあれば、地球と月以外の天体からはじめて得られた物件となる。
「はやぶさ」本体から分離して帰還したカプセルは、この夏に一般公開され多くの観衆をあつめた。最初に展示された神奈川県の相模原市立博物館*では、隣接する宇宙科学研究所 ISAS の相模原キャンパス特別公開とあいまって、7月30日の初日に約1万3千人、二日間で約3万人が、最長4時間の待ち時間にたえた(宇宙航空研究開発機構* JAXA 発表、および神奈川新聞の報道による)。また8月1日には茨城県の筑波宇宙センターで天覧に供されたという。
いまから40年前の1970年、大阪で開かれた万国博覧会のアメリカ館で、はじめて「月の石」をみたかもしれない世代のお父さんが「なんか洗面器みたい」と言った、そのカプセルはたしかに子どもの目にも小さい。探査機そのものもコンパクトである。太陽電池をひろげた両端のあいだが約5.7メートル、どこにあの能力がひそんでいるのか。上の写真は、東京都の府中市郷土の森博物館に展示された、「はやぶさ」5分の1サイズ模型(8月3日筆者撮影)。
「はやぶさ」本体は、地球の大気圏につっこんで消滅した。その輝く「流れ星」はインターネット配信の映像でもひとびとに「感動」をあたえている。そもそも工学実験探査機 MUSES-C 2003-019A が小惑星 25143 をめざして鹿児島県内之浦を出発した2003年5月9日、「はやぶさ」の名も小惑星「イトカワ」の名もなかった。米国の科学誌『サイエンス*』2006年6月2日号が小惑星イトカワ科学観測の特集号を刊行したときも、さほど話題にのぼらなかった。日本政府のいわゆる「事業仕分け」のことは言うまい。
ロケット打上げからの歳月をふりかえるアニメーション映画を、府中市郷土の森博物館のプラネタリウムでみた。HAYABUSA-BACK TO THE EARTH という。夏の星座の解説につづき、全天周CG映画を投影して約1時間。2009年、帰路をたどっている時点での作品である。「はやぶさ」という生きものの名をつけようとつけまいと、おそらく「はじめてのお使い」的な感情移入は避けがたい。それさえさしひけば、じつに分りやすいストーリーになっている。夏休みということもあって、「夜空」をみあげるのはほとんど小さな子をともなう家族づれである。
あ、いかん、これではアームチェア・フィールドワーカーになってしまう。府中市郷土の森博物館は野外博物館なのだ。東京の美術館・博物館などの共通入場券「ぐるっとパス」冊子にも、さりげなくフィールドミュージアムとうたっている。府中市はあまり宣伝していないようだが。多摩川の北岸、河岸段丘を上下にまたいだ敷地に、武蔵野のおもかげをのこす林とひろびろとした梅園がひろがっている。
博物館の館内には武蔵国の国府のまちの自然と歴史の常設展示(たのめば教育用に撮影させてくれる)、この夏の企画展示は身ぢかな昆虫と蓮の大賀博士である。ギフチョウの膨大なコレクションにならんでいるのは、タマムシと同じ標本箱にひかり輝くゴキブリ3種(ヤマトとクロとチャバネ)、さすが。
下の写真は、庭園に移築復元された明治中期の郵便局。ふつうの「仕舞た家」を改造した建物で、ごらんのように小がらな Iさんでも踏み台にのれば窓口にとどく。このような歴史的建造物が8棟ある、という。縄紋時代の住居址も1棟にカウントしているのだろうか。記録的な猛暑のつづく八月であるが、緑陰を涼風がわたっていた。
府中市郷土の森博物館プラネタリウムの「はやぶさ」映画は9月5日まで。同じく相模原市立博物館では9月30日まで。
事実確認のため上記の機関ウェブサイト(記号*)のほか、つぎの新刊書を参照した。山根一眞著『小惑星探査機はやぶさの大冒険』マガジンハウス、2010年7月刊。
(大井 剛)