「部活」という意識を捨てよ!
出雲輝彦(東京成徳大学テニス部 部長・監督)
私は、大学の「体育会」というものに強いこだわりを持っている。一般に、大学入学後、大学でスポーツをしようと思った時に迫られる選択が「体育会」か「同好会(サークル)」のどちらの団体に属するか、ということである。多くの大学には体育系団体等を統括する組織として「○○大学体育会」が存在する。大学によって学友会、校友会など名称は様々であるが、要するに、その大学を代表して学生競技連盟等に加盟が認められる学内唯一のスポーツ団体を統括する学内組織を意味する。そして、そのような統括組織に属する運動部を「体育会○○部」という。体育会の運動部と聞くと、「厳しい(挨拶、上下関係等)」「きつい(練習量・質、役割分担、大学の威信・歴史を背負う重圧等)」「拘束される(練習時間、各種大会・行事等)」の3Kのイメージが頭に浮かび、多くの場合敬遠される。また、体育会の学生は「熱い」「汗臭い」「頭(脳みそ)が筋肉」の3Aのレッテルを貼られがちである。ただし、就職活動の際はアピールポイントになるとともに、企業等が求める人材適性にも合致している部分が多く、後々、恩恵を被ることもある。また、所属団体のOBや試合等で知り合った関係者等の人脈も大きな財産になる。残念ながら、東京成徳大学にはそのような統括組織は存在しない。色々な意味で、本学の今後の課題となろう。
昨今、「部活」「就活」「婚活」「終活」など「○活」という言い方が目立つ。「部活」は「運動部活動」(※本稿では文化部については省略する。)の略語であるが、私は、それは高校までの課外活動としての「部活動」を意味するものと理解(定義)している。したがって、大学において「部活」という概念は存在しない。「部活」は、勉強、習い事、遊び、アルバイト等と同レベルの活動として位置づけられるものであり、学業から離れた余暇時間に行う活動の1つに過ぎない。多くの例外はあると思うが、ネガティブな面に目を向けると受動的、消極的、素人的、指導者主導的、無目的または惰性的な営みである。それに対して、大学の体育会での取り組みは、能動的、主体的、専門的、自治的、自己開発的、組織的及び計画的であることが基本であり、それらが標榜される。
私は大学入学(1985年)以来、体育会にドップリ浸かってきた人間だが、「部活に行く」という表現を耳にした記憶はほとんどない。体育会に属するものとしては、「(部の)練習に行く」と表現するのが普通である。しかしながら、本学においてはテニス部に限らず「部活」という表現がなされることが多い。もっとも、本学に体育会という組織が存在しないことが、高校までの部活の延長としてでしか大学の体育系部を捉えることができないことの主因であろう。
いずれにしても、我が部は「体育会」としての活動を標榜している。年度により部員の数が変動し、それに伴い部の体制が揺らぐこともあろうが、体育会テニス部としての在るべき姿を見失わず、また、理想や目標を高く抱きつつ今後も活動を継続していきたいものである。その前提として、我が部のみならず東京成徳大学から「部活」という言葉を撲滅したい。否、部に属するものが「部活」という意識を捨てれば良い。
(「東京成徳大学テニス部 年報№6」2010年8月22日発行 より転載)