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2019/02/02

北海道の名づけ親 松浦武四郎◇静嘉堂文庫美術館 見学会 12月2日


2018年度秋期公開講座「世界史を横断するⅡ」の受講生のために設定した、もうひとつの校外(郊外)学習は、静嘉堂文庫美術館*の見学会です。2018年12月2日(日)午後、東京世田谷区岡本の現地に集合、「生誕200年記念 幕末の北方探検家 松浦武四郎展」*(会期:2018年9月24日-12月9日) に参観しました。展覧会タイトルの説明するままですから、説明は要りませんね。

静嘉堂文庫(上の写真=左、1924年に建築)は古典籍約20万冊(漢籍12万冊、和書8万冊)を収蔵して公開し、静嘉堂文庫美術館(上の写真=右、1992年開館)は東洋古美術品およそ6500点を蔵して展示会をひらいている。(下の写真2段目は、今回の展覧会場入口)


日曜日に都合がつくという講座メンバーが4名あつまりました。学芸員さんの展示解説は土曜日におわってしまい、かわりに講座の講師が会場をあるきながら見どころを紹介しました。今回とおなじような趣旨の展示が、すでに6年前に静嘉堂文庫美術館で「幕末の北方探検家 松浦武四郎」*(会期2013年10月5日-12月8日) として開催されています。このとき静嘉堂の蔵する武四郎旧蔵考古遺物コレクションがはじめて公開されました。その図録を手もとにおいて、武四郎の探検記録や地図制作についておはなししました。
 

丘陵の斜面にひろがる庭園は、盛りのすぎたモミジもようです(写真3段目、展示棟から。手前が本館、うしろは収蔵庫)。武四郎展と同時に開催されている「石水博物館所蔵 川喜多半泥子の茶碗」をみて、会場をあとにします。石水博物館は三重県津市にあり、武四郎は現在の三重県松阪市で生れました。
 

丘をくだる裏道のとばくちに、この家の廟(納骨堂)がある(写真4段目、1910年建立)。ジョサイア・コンドルの設計にかかる。いまも墓所として生きている(もちろんナカミは死んでいます)。小彌太は父の墓所の近くに文庫を建てたのでした。

静嘉堂(せいかどう)は、三菱第二代社長 岩﨑彌之助(1851-1908)の堂号、彌之助は初代 彌太郎の弟です。彌之助の子が岩﨑小彌太(1879-1945)で、三菱第四代社長になりました。彌之助、小彌太父子のコレクションをおさめた静嘉堂は、かつて岩﨑家の高輪邸(現在の開東閣)の別館にあったこともある。この前日、12月1日の教会クリスマス見学会の帰りみちに、開東閣の横を通り過ぎました。
(共通領域部 大井 剛)

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