234.Australia Dayをめぐる対立から歴史を学ぶ(K.H.さんより)
留学先:オーストラリア・ビクトリア大学
留学期間:2025年9月~2026年5月
留学期間:2025年9月~2026年5月
祝日
私がメルボルンでの生活を始めた10月から現在2月まで、祝日は2日あった。1つは11月4日(2025年)のLexus Melbourne Cup Day、もう1つは1月26日のAustralia Dayである。前者はメルボルンで大きな競馬レースのMelbourne Cupが行われる日であり、皆が現地に足を運んだり、テレビで中継を観たりなど様々なところで盛り上がっていた。対して後者のAustralia Dayは、盛り上がりのベクトルが異なっていた。
Australia Dayの起源
1788年1月26日、現在のシドニー湾であるポート・ジャクソンに戦艦が上陸した。イギリスの海軍であったアーサー・フィリップがその国旗であるユニオンジャックを掲げたその日を境に、オーストラリアはイギリスの植民地となり、先住民の虐殺が始まったのだ。侵略の始まりの日であると同時に、現在のオーストラリア国家が生まれるきっかけの日でもあった。そのため、1935年には建国記念日としてAustralia Dayが正式に国民の祝日とされたのだった。
Australia Dayの日の街中
2026年1月26日、街行く人に“Happy Australia Day!”と声を掛ける市民がいる一方で、メルボルンセントラルではデモが行われていた。1月26日に行われたデモは2種類の意見に分かれていた。「Australia DayはInvasion Day(侵略の日)であり、『祝』日の撤回、日付の変更をするべきである」という、アボリジニの黒、赤、黄の国旗を掲げる人々。対して、「歴史とアイデンティティのために『Australia Day』の名と日付を維持するべきである」と主張する人々はユニオンジャックが含まれる現在のオーストラリア国旗を掲げていた。

アボリジニの旗を掲げ、街中で行進をする人々

ユニオンジャックが含まれるオーストラリアの国旗を掲げる
デモの様子(丸印に見える旗が現オーストラリア国旗)

メルボルンの市議会および市役所
CHAMBERS & ADMINISTRATIONの看板
National Indigenous Timeの記事のなかで、ンガラ・マレーさんという女性が、Australia Dayを祝日と定め続けることに対する強い反対と先住民に対する深い哀悼の意思を表明していた。先住民の暮らしてきた大地にユニオンジャックの旗が立てられてから200年以上が経ち、Australia Dayが祝日として制定されてからは約90年が経った。彼女と同様の主張を続ける多くの人たちがいて、長年にわたってデモが行われてきたのだ。メルボルンの市議会と市役所が入るMelbourne Town Hall(メルボルン市庁舎)を訪れると、館内にはアボリジニの旗が展示されていた。現状、祝日の改定はされていないが、ンガラ・マレーさんをはじめとするアボリジニの人々の存在と歴史はこうして公的に尊重されているのだ。
日本人留学生として
留学先であるビクトリア大学の先生は、「Australia Dayはたくさんの人が殺された日だから、ホリデーだけど祝うのはあまり良くない」と言っていた。他国から来た留学生である私としては、Australia Dayをめぐる対立についてどちらが正しいか簡単には判断できない。犠牲になってしまった人々、今日までオーストラリアを創り上げてきた人々のどちらにも敬意を払いながら、歴史を学び続けたい。