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建学の精神


1. 建学の精神とは

(1)私立学校にとっての建学の精神

学校は、設立時には各々その固有の設立目的を有している。それは設置者の異なる国公立の学校も同様であるが、とりわけ私立学校においては設置者の理念とする「精神」が脈々と流れ、展開されている。また教育においては、私立学校といえども公共的な側面を無視し得ない。しかし、同時に私立学校においては国公立学校と異なり多様性という点で特徴があり、かつ教育に対する独自の個性的貢献が為されるべきと考えられる。すなわち一定の公共性は保ちつつも、幅広い多様性を持つ私立学校の教育面での存在は、社会における多様性を維持するうえで重要な要素となっている。

この多様性を担保するものが、建学の精神である。建学の精神は、時代に合わせて解釈し直されることがありうるが、まったく異なるものとなることは、異なる新しい学校の設立として捉えられるべきものである。こうした事態を避けるためにも、建学の精神の基本理念を常に時代に合わせて解釈し直し適合させていくという努力が不断に要請されている。このことは大いに留意すべき点であると考えられる。

(2)本学園の建学の精神「成徳」について

本学園の建学の精神は、「成徳」すなわち「徳を成す人間の育成」である。

徳は他者との関係におけるおおらかで素直な心を示すが、子供の純粋さとは異なり、社会人として他者から信頼・評価を得るような実践的な能力に裏付けられたものでなければならない。こうした社会に活きる力を涵養しつつ、それぞれの人格の完成の契機となるような教育を本学は理想としている。

この徳という概念は、中国の孔子を始まりとする儒学に基づくものであり、大漢和辞典にはまず第一番目に「心に養い身に得たるもの」という意味が出てくる。また漢語林によれば、「真っ直ぐな心で人生を歩む」という意味としている。さらに常用字解によると、「邪悪なものを祓い清める呪力があると考えられた目の呪力・威力を他の地に及ぼすことを徳という。すなわち呪力がその人がもともと持っている内面的な、人間的な力に発するものであることが自覚されて、徳の概念が生まれた。」とある。

これらを総合して人間が素直に内面から発する人間力という点に、徳が持つ意味合いの重要な点があると考えられる。

2. 学園創立者:菅澤重雄

「成徳」という精神で本学園を創立した菅澤重雄の人となりを知ることは、建学の精神を知る上で大変重要なことである。

菅澤重雄は、千葉県香取郡の高津原(多古町)に生まれて明治・大正・昭和の3代を生きたが、その人格形成は当時の多くの人々と同様に儒学(朱子学)によって為された。菅澤の生地の近くに御所台という地があり、幕末の大学者大橋納庵門下の俊才である並木栗水が居住して儒学を講じていた。人格に優れ令名も高かったので、関東はもちろん北陸方面からも笈を負って集まり、多くの有為の人材を輩出したという。菅澤は、並木先生の門下生となって先生の家族と起居を共にしながら8年間勉学と作業に励んだ。当時の読書と作業の日課は厳しいものがあり、書を習っては一日一升の水を使い切るまでさせられた。菅澤は、漢学・漢詩を能くし、また書でも一家を成したのはそれだけの努力の裏打ちがあったればこそと言えよう。このように青年期を漢学(朱子学)によって思想形成し、作業教育によってその人格を形成して生涯の生き方が決まった。

その後、菅澤は弱冠27歳で県会議員、後に衆議院議員となり政治の世界で活躍することとなる。しかし明治末より大正にかけては、実業人として殖産興業に尽くし、多くの会社の設立と経営に関与し、また開墾事業などを行い成功している。昭和の初期において貴族院議員として国政に参与することとなるが、国家の将来を考える時、人生の究極の仕事は教育にありとして学園の創立に係わったものである。

菅澤は、儒学によって人格形成をしたものとして、当然に教育の要は徳育から出発しなければならないとの固い信念を持っていた。また菅澤は実学の人でもあり、実務に役立つ学問と勤労の尊さを重んじて、そのことを自らの実践を通じて教育した。加えて菅澤は、強固な意志の人であり、一度始めた仕事はどんな困難に当たってもやり抜く人であった。反面自分のしたことの非に気付けば、素直に改めて固執することがないという面も持っている人であった。大変活力に溢れた人であったが、一方で子ども好き世話好きであり、大きな良い仕事をするためには、健康が大事であるとして常に気をつけていた常識人でもあった。

3. 「五つの教育目標」への展開

先の大戦後、日本社会は大きな変化を遂げていくこととなる。教育の面においても180度価値観が異なる現象が生じたりして多くの混乱を生じた。しかしながら学園は、本学園の教育の不易の部分はあくまで日本国民としての人づくりを行うという点にあるということを堅持した。その一方で建学の精神を戦後の状況及び創立者菅澤重雄の日常の言動に基づいて「五つの教育目標」として分かり易く集約して示したのが、戦後学園の教育・経営に参画し、後に3代目の理事長となった木内四郎兵衛である。その目標とは次の通りである。
  1. おおらかな徳操
  2. 高い知性
  3. 健全なる身体
  4. 勤労の精神
  5. 実行の勇気
この「五つの教育目標」の特徴としては、教育の分野ではよく「知徳体」というように知性を第一に挙げることが多いが、「おおらかな徳操」という伸びやかではあるが堅固な人間性・人間力を得るべき目標であり基盤でもあるとしている点である。第2には「勤労の精神」と「実行の勇気」という2つの項目が入っていることである。これらは創立者菅澤重雄の人となりの項で述べた如く、創立者がその人生の中で重んじ、また実践してきたものである。この「五つの教育目標」は、戦後の学園傘下の各学校の教育において中心的な指針として展開されており、現在においてもその意義は失われてはいない。

しかしながら「五つの教育目標」をただ単に各々の項目として目標とすることは、理解が不十分な面があると考えられる。すなわち「おおらかな徳操」はあくまで人間として築くべき基盤として最終目標となり、「高い知性」「健全なる身体」「勤労の精神」は徳を成すための基礎となるグループであると認識したい。勤労の精神は、文字通り働くことであるが、社会に有意義な存在たらんという社会参加の精神でもある。我々は知性を磨き、身体を鍛えるとともに、何をもって社会に自分の位置を占めるかを考えなければならない。「実行の勇気」は、このような「おおらかな徳操」という目標と「高い知性・健全な身体・勤労の精神」と言う基礎となるものを結んで実現させるものである。この時これらの3つの関係は、因縁果の関係にあるといえる。

4. 「共生とコミュニケーション」へ展開

学園は平成5年に男女共学の東京成徳大学人文学部を開学して、ヒューマニティを追求する中で「共生とコミュニケーション」を教育理念とした。「共生」は老人と若者、異国人同士などの異なる属性を有する人間同士、あるいは人間と動植物などをも含めた人間を取り巻く環境との共存を意味している。21世紀は、人間同士の共生・共存のみならず、地球という器も含めて人間と環境の共存のあり方が重要な課題である。

「共生」ということの中には、他者に対する「いつくしみ、親しみ」という感情なしには安定した関係にはなり得ない。こうした「いつくしみ、親しみ」という気持ちは儒学にいう仁であり、徳に繋がるものとして意識される。徳は基本的には普遍的な面を持っているが、異なる二者間では何もなしで相互理解が成り立つことは珍しいことと思われる。特に世界の人的な交流が広く大きくなっている現在、相互理解のためには十分なコミュニケーションが必要とされており、それが確保されることにより共生ということも力強い基盤を得ることが出来るのである。
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