東京成徳学園創立100周年コラム「100」―大学で教えるということ:ガウスの「逸話」検証を踏まえて―

1から100までの整数の合計は?この問いに対して、年少のガウスは即座に答えた。後に傑出した数学者・物理学者・天文学者となるガウス(Carl Friedrich Gauss:1777–1855)の天賦の才を示す逸話として語り継がれている。
最近、担当する授業で衝撃的な出来事が相次いだ。私は、講義等で扱う重要用語は、その定義を厳密に説明するよう心掛けている。ハルバート・ダン博士が1950年代からウェルネス(wellness)を提唱したことを契機として、今日、ウェルネスという用語は広く普及し、関連産業も確立している。しかし、ダン博士のウェルネスに関する定義・概念は、必ずしも正しく理解されているわけではない。そこで、授業では、ダン博士のウェルネスの定義について、語源(古代ギリシャ語)も踏まえ、原文を再翻訳して説明することにしている。すると、学生から「再翻訳する意味があるのですか?今までの訳でいいじゃないですか。」という反応があった。次に、3年次ゼミにおいて、卒業研究に向けた「研究方法(政策リサーチ)」の理解を狙いとした文献講読(輪読)を行っていた際、学生から「何が書いてあるか頭に入ってきません。ただ活字を読んでいるだけなので、時間の無駄になりませんか。それよりも先生が要約・解説してくれた方が効率いいんじゃないですか。」という発言があった。これらは、昨今の「タイパ(タイム・パフォーマンス)」志向ゆえか、それとも倍速・スキップ視聴のような「無駄の省略」への慣れによるものか。大学は知識やスキルを獲得するだけではなく、学び方を学ぶ、考え方を学ぶところでもあるのだが…
さて、冒頭のガウスの話に戻そう。1から100までの整数の合計が5050であることは、小学生低学年でも過去に計算したことがあれば即答できる。また、答えを知らなくても、101×100÷2という計算により10秒程度で答えを出せるような簡単な問題でもあるが、中学生の時に私がこの逸話を聞いてからこれまで、この事について疑いを持つことはなかった。しかし、この度、「100」に因んだ原稿を執筆するにあたり、冒頭のパラグラフだけで終えるわけにはいかない。そこで、最も信頼性の高い史料に当たることにした。ガウスの没年は1855年であり、その翌年、彼の弟子のひとりであった地質学者ザルトリウス(Wolfgang Sartorius von Waltershausen)による『ガウスを偲んで(Gauss zum Gedächtniss)』(1856年)が刊行された。同書には、ガウスの生前に本人から直接聞いた逸話として、次のように記されている。
「年少のガウスが算術の授業に入って間もなく、ビュットナー先生は、ある等差数列の総和(die Summation einer arithmetischen Reihe)を問題として出した。ところが、その問題がほとんど言い終わらないうちに、低地ドイツ語系のブラウンシュヴァイク訛りで『Ligget se’(そこにあるよ)』と言いながら、ガウスは自分の石板をテーブルの上に投げ出したのである。」(筆者訳)
以上のことから、ガウスの没後まもなく刊行された追悼本には「等差数列の総和」とのみ記述されており、1から100という具体的な数は示されていないことが分かる。同書については、その後、他の出版社からのドイツ語版や英語翻訳版がいくつか出版されていることや、また、ザルトリウスの知りえなかった情報に基づくガウス伝が他でも記されている可能性があることから、1から100説を完全に否定することはできない。しかし、ガウスの最期に立ち会い、その生前には本人から直接思い出話等を聞くほど身近にいたザルトリウスの記述は、信じるに足るものと考えることができる。
大学で教鞭をとる以上、こういった「こだわり」を持ち続けていきたい。
文献
Sartorius von Waltershausen, W. Gauss zum Gedächtniss. Leipzig: Verlag von S. Hirzel, 1856, S. 12. (Google Books: https://books.google.de 2025年11月22日閲覧)
2025年11月30日
執筆者
応用心理学部 健康・スポーツ心理学科 学科長
出雲 輝彦 教授
最近、担当する授業で衝撃的な出来事が相次いだ。私は、講義等で扱う重要用語は、その定義を厳密に説明するよう心掛けている。ハルバート・ダン博士が1950年代からウェルネス(wellness)を提唱したことを契機として、今日、ウェルネスという用語は広く普及し、関連産業も確立している。しかし、ダン博士のウェルネスに関する定義・概念は、必ずしも正しく理解されているわけではない。そこで、授業では、ダン博士のウェルネスの定義について、語源(古代ギリシャ語)も踏まえ、原文を再翻訳して説明することにしている。すると、学生から「再翻訳する意味があるのですか?今までの訳でいいじゃないですか。」という反応があった。次に、3年次ゼミにおいて、卒業研究に向けた「研究方法(政策リサーチ)」の理解を狙いとした文献講読(輪読)を行っていた際、学生から「何が書いてあるか頭に入ってきません。ただ活字を読んでいるだけなので、時間の無駄になりませんか。それよりも先生が要約・解説してくれた方が効率いいんじゃないですか。」という発言があった。これらは、昨今の「タイパ(タイム・パフォーマンス)」志向ゆえか、それとも倍速・スキップ視聴のような「無駄の省略」への慣れによるものか。大学は知識やスキルを獲得するだけではなく、学び方を学ぶ、考え方を学ぶところでもあるのだが…
さて、冒頭のガウスの話に戻そう。1から100までの整数の合計が5050であることは、小学生低学年でも過去に計算したことがあれば即答できる。また、答えを知らなくても、101×100÷2という計算により10秒程度で答えを出せるような簡単な問題でもあるが、中学生の時に私がこの逸話を聞いてからこれまで、この事について疑いを持つことはなかった。しかし、この度、「100」に因んだ原稿を執筆するにあたり、冒頭のパラグラフだけで終えるわけにはいかない。そこで、最も信頼性の高い史料に当たることにした。ガウスの没年は1855年であり、その翌年、彼の弟子のひとりであった地質学者ザルトリウス(Wolfgang Sartorius von Waltershausen)による『ガウスを偲んで(Gauss zum Gedächtniss)』(1856年)が刊行された。同書には、ガウスの生前に本人から直接聞いた逸話として、次のように記されている。
「年少のガウスが算術の授業に入って間もなく、ビュットナー先生は、ある等差数列の総和(die Summation einer arithmetischen Reihe)を問題として出した。ところが、その問題がほとんど言い終わらないうちに、低地ドイツ語系のブラウンシュヴァイク訛りで『Ligget se’(そこにあるよ)』と言いながら、ガウスは自分の石板をテーブルの上に投げ出したのである。」(筆者訳)
以上のことから、ガウスの没後まもなく刊行された追悼本には「等差数列の総和」とのみ記述されており、1から100という具体的な数は示されていないことが分かる。同書については、その後、他の出版社からのドイツ語版や英語翻訳版がいくつか出版されていることや、また、ザルトリウスの知りえなかった情報に基づくガウス伝が他でも記されている可能性があることから、1から100説を完全に否定することはできない。しかし、ガウスの最期に立ち会い、その生前には本人から直接思い出話等を聞くほど身近にいたザルトリウスの記述は、信じるに足るものと考えることができる。
大学で教鞭をとる以上、こういった「こだわり」を持ち続けていきたい。
文献
Sartorius von Waltershausen, W. Gauss zum Gedächtniss. Leipzig: Verlag von S. Hirzel, 1856, S. 12. (Google Books: https://books.google.de 2025年11月22日閲覧)
2025年11月30日
執筆者
応用心理学部 健康・スポーツ心理学科 学科長
出雲 輝彦 教授