東京成徳学園創立100周年コラム「100」―昭和100年を振り返って―
来年、本学園創立100年を迎えるにあたり、「100」という数字に関わる内容の文を書くように指示があり思案しましたが、振り返ると今年は昭和という元号が制定されて丁度100年目になることが思い出されました。このコラムをお読みになる高校生の皆さんには昭和よりも平成という元号の方が馴染みあるとは思いますが、少しだけお付き合い下さい。
昔、明治から昭和の時代にかけて活躍した著名な俳人が、過ぎ去った明治時代を懐かしんで「降る雪や 明治は遠くなりにけり」という句を残しました。雪の降りしきる中、昔の思い出をよみがえらせながら、何と風情のある句を詠んだものでしょう。
では、この句を利用して「昭和は遠くなりにけり」の上五(最初の五文字)に言葉を入れるとしたら、どのような文字が昭和の時代を端的に、また趣深く表すことができるでしょうか。
さて、六十有余年続いた長き時代を、浅学菲才の拙筆者が的確に表現するにはあまりにも荷が重く、是非ここで生成AIの能力に頼ろうと、10語程度、適当な言葉を例示して欲しいと指示をしました。返ってきた言葉の中には、なるほどと思わせるものもありますし、何で?と疑問を抱くような言葉もありました。ふとその中に、一つ、目が留まった言葉が「卓袱台(ちゃぶだい)」でした。高校生の皆さんはもちろん、馴染みのない物ではありますが、現代的に言い換えると、ダイニングテーブルとでも言えば良いかも知れない畳の上に置く食卓です。昭和の庶民的な家庭では丸い卓袱台を囲んで家族団らんで、一家に一台しかない貴重な白黒テレビを見ながら食事をするといった風景が多く見られました。時々、理由はともかく父親が突然、怒り出し卓袱台をひっくり返すという暴挙に出ることも。考えてみればひっくり返すにも丸い直径1メートル程度の卓袱台は手頃な大きさだったのかも知れません。
さて、現代に目を転じると家族の姿も大きく変貌し、世帯という体裁は残っていますが、一家を構成する家族一人ひとりの意識も変容し、それぞれの価値観も時代とともに変化して、子ども観、家族観も大きく変化しています。子ども学部では、こうした時代や社会の潮流にも視座を置いて、子ども個人に関するミクロ的な面からの研究はもちろんのこと、子どもを取り巻く家族、社会全体へのマクロ的な視点に立った研究を、今後もしていきたいと考えています。
2025年8月30日
執筆者
子ども学部 学部長
塙 和明 教授
昔、明治から昭和の時代にかけて活躍した著名な俳人が、過ぎ去った明治時代を懐かしんで「降る雪や 明治は遠くなりにけり」という句を残しました。雪の降りしきる中、昔の思い出をよみがえらせながら、何と風情のある句を詠んだものでしょう。
では、この句を利用して「昭和は遠くなりにけり」の上五(最初の五文字)に言葉を入れるとしたら、どのような文字が昭和の時代を端的に、また趣深く表すことができるでしょうか。
さて、六十有余年続いた長き時代を、浅学菲才の拙筆者が的確に表現するにはあまりにも荷が重く、是非ここで生成AIの能力に頼ろうと、10語程度、適当な言葉を例示して欲しいと指示をしました。返ってきた言葉の中には、なるほどと思わせるものもありますし、何で?と疑問を抱くような言葉もありました。ふとその中に、一つ、目が留まった言葉が「卓袱台(ちゃぶだい)」でした。高校生の皆さんはもちろん、馴染みのない物ではありますが、現代的に言い換えると、ダイニングテーブルとでも言えば良いかも知れない畳の上に置く食卓です。昭和の庶民的な家庭では丸い卓袱台を囲んで家族団らんで、一家に一台しかない貴重な白黒テレビを見ながら食事をするといった風景が多く見られました。時々、理由はともかく父親が突然、怒り出し卓袱台をひっくり返すという暴挙に出ることも。考えてみればひっくり返すにも丸い直径1メートル程度の卓袱台は手頃な大きさだったのかも知れません。
さて、現代に目を転じると家族の姿も大きく変貌し、世帯という体裁は残っていますが、一家を構成する家族一人ひとりの意識も変容し、それぞれの価値観も時代とともに変化して、子ども観、家族観も大きく変化しています。子ども学部では、こうした時代や社会の潮流にも視座を置いて、子ども個人に関するミクロ的な面からの研究はもちろんのこと、子どもを取り巻く家族、社会全体へのマクロ的な視点に立った研究を、今後もしていきたいと考えています。
2025年8月30日
執筆者
子ども学部 学部長
塙 和明 教授